【完全版】ネタバレ注意!映画『夜は短し歩けよ乙女』の原作とは違うところと感想
4月7日公開の映画『夜は短し歩けよ乙女』を数日遅れながら観てまいりました!
観て思ったのですが、原作と異なる箇所が多々あったので忘れぬうちに覚えている範囲で書き留めておきます。観ていない方にはネタバレになってしまいますのでご注意ください。
またこの記事は前に投稿した下の記事をまとめ・加筆したものですので、このままこの記事をご覧ください。
是非興味のある方は原作の方も読んでみてください。映画が何倍も面白く感じますよ^^
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目次
映画化での変更点
すべてが一夜の出来事になっている
原作では全四章編成で、その四つの章に春夏秋冬の時期が割り当てられています。しかし、映画では四章編成は変わらないものの、一夜の出来事ということになっていました。
ここの変更点にはちょっとびっくりしました。
夜長いな・・・ってなりましたね。
ずっと夜だな・・・っても思いました。
しかし章の間はスムーズに進行していたのですんなり受け入れなれると思います。
冒頭の祝いの会より前からナカメ作戦を実行していた
一夜の出来事に変更になったからなのでしょうか、先輩は冒頭の祝いの会の時点で乙女との外堀りをけっこう埋めていたようです。
つまり物語の始まり以前から先輩と乙女との外堀は埋まっていたんですね。一夜の出来事で外堀りを埋めきるのは至難の業ですから、この変更には納得ですね
おともだちパンチが母直伝になっていた
細かいところですが、おともだちパンチが原作では姉直伝に対し、映画では母直伝に変更されていました。さらに、乙女は武道を嗜んでいたという追加要素もありました。
一章で先輩は東堂さんにズボンを恵んでもらえなかった
原作では東堂さんが古本屋から古着を借りてきて先輩に恵んであげるのですが、映画では同じシチュエーションにも関わらず、東堂さんは先輩に古着を恵んであげることはありませんでした。
先輩は黒髪の乙女のおともだちパンチを食らう
飲み比べの後、李白の電車の屋上にて、原作で先輩は「大丈夫ですか」と乙女に声をかけられるのですが、映画では東堂さんにズボンを恵んでもらえなかったこともあり、半裸で乙女に会ってしまったのでおともだちパンチを食らう破目になりました。先輩可哀想です。
飲み比べの時点で李白さんは人生に不満を抱いていた
原作では乙女の「お幸せですか」という問いに李白さんは「無論」と答えていますが、映画では「人生は孤独なもの、苦しいもの」などと悲観的でした。
飲み比べ後の屋上で緋鯉が降ってくることはなかった
一章の大きな変更点です。映画ではこれのせいで、先輩が降ってくる緋鯉とぶつかり乙女に「大丈夫ですか」と声をかけられることも無くなり、おともだちパンチを食らう破目になるのですが。
緋鯉はいつ降ってくるのかというと三章の文化祭です。
ちなみに、原作では緋鯉が降ってきた屋上で東堂さんは乙女におともだちパンチ食らっていますが、映画では乙女が飲み比べに勝ち、借金が帳消しになった直後に食らっています。
理由はどちらも乙女に接吻しようとしたからですね。けしからん東堂!
一章の宴会後、すぐに古本市に向かう
映画では飲み比べが終わって、その後の宴会も終わったあと、乙女と樋口さんと羽貫さんは川を見ていると古本市のチラシが流れてきます。それを見た乙女がラ・タ・タ・タムを突然思い出し、そのまま古本市に出かけます。
還暦祝いの席で樋口さんが芸を見せるも受けなかった
盛り上がりに欠けていた還暦祝いの席で樋口さんは芸をするのですが、原作では浮遊術を使い天狗さながらの妙技を披露し店全体を盛り上げたのですが、映画ではインチキ浮遊術を披露し幻滅されます。
年齢ごとに時間の流れが違う
乙女の時間の流れは普通なのに対し、還暦祝いの方たちは自分のしている時計の時間の流れが極端に早く、人生に時間がないことを嘆いていました。ちなみに李白さんの時計は滅茶苦茶早いです。
この表現は原作には全くありませんでしたので、映画の完全オリジナルの仕様となります。
先輩はラ・タ・タ・タムのことを事務局長から聞かされる
映画では第一章の後半、つまり飲み比べが終わった後、先輩は乙女からおともだちパンチを食らい川に落ちるのですが、その後事務局長に拾われます。先輩が拾われ目を覚ました先で事務局長から、乙女が手に入れたがっているラ・タ・タ・タムという絵本の話を聞かされることになります。原作では先輩はラ・タ・タ・タムのことを古本市の神の美少年から聞いていましたね。
古本市の神は小津のような見た目だった
原作では美少年と書かれていましたが、映画では『四畳半神話大系』の小津が幼くなったような姿に変わっていました。さすがに小津を美少年というのは無理があるのでここは変更点ですね。
先輩を火鍋に誘ったのは東堂さんだった
原作では先輩は恩のある千歳屋の若旦那に頼まれて火鍋に参加するのですが、映画では千歳屋は登場せず、東堂さんが先輩を火鍋に誘うのでした。
ちなみに原作でも映画でも先輩が手に入れてくれと頼まれたのは葛飾北斎の春本です
火鍋のとき熱々の麦茶が無かった
原作では火鍋を食べる際、脱水症状にならないように熱々の麦茶を飲みながら食べていたのですが、映画では麦茶は出てきませんでした。危険ですね。
映画ではさらに追い討ちをかけるように、火鍋と同じくらい辛いラーメンと餃子が出てきました。
僕けっこう麦茶飲まないと脱水で死ぬって設定好きです。
ラ・タ・タ・タムは開放されなかった
原作では、乙女の探していたラ・タ・タ・タムは李白から古本市の神の手によって絵本コーナーに返され、それを乙女が手に入れます。しかし映画では、火鍋チャレンジで勝ち残った先輩が最後までラ・タ・タ・タムを離さなかったので、その時点では乙女には渡らず物語最終局面まで先輩が所持しています。
先輩の執念がうかがえますね!
古本市でゲリラ演劇「偏屈王」が開演された
これにはちょっとびっくりしました。
原作では古本市の話(第二章)の時点でゲリラ演劇「偏屈王」は名前すら登場していませんから、映画での古本市で出てきたのは意外でした。
原作の内容に沿うだけではないところが映画のおもしろさだなと実感しました。
古本市から文化祭へ行く
タイトルの通り、乙女は古本市から直行で文化祭に行きました。すべてのことが一夜の出来事として進行しているのでこうなりますよね。原作では物語は一年を通した出来事として書かれているのですよ。
緋鯉のぬいぐるみが緋鯉のジャケットに変更
原作では、乙女は射的で手に入れた大きな緋鯉のぬいぐるみ?を紐を使って背負っているのですが、映画ではそのまま背負える形の緋鯉ジャケットに変わっていました。
こっちの方が断然背負いやすそうですもんね。あと、乙女の衣装を替えたかったのかもしれませんね。ずっと赤いワンピースでは飽きてきちゃうかもです。
先輩は最終幕偏屈王が始まってから割り込んだ
原作では開演直前に先輩はパンツ総番長に主役を変われと言ってジャックし、偏屈王役として先輩がステージに上がり、プリンセス・ダルマ役の乙女と最終幕を演じ切り最後二人は抱き合ってエンドなのですが、映画ではパンツ総番長と乙女が偏屈王を演じている際、横からパンツ総番長に突撃し、パンツ総番長と入れ替わる形で舞台をジャックしていました。
パンツ総番長の探していた女性は女装した事務局長だった
これはなんとも酷い話です。
僕がパンツ総番長の立場だったら立ち直れません。
原作では、パンツ総番長は須田紀子さんという本物の女性に恋をし、偏屈王を公開しながら探しているのですが、映画では探していた女性のポジションが女装していた事務局長ということになっていました。
原作を読んだことのある方なら分かると思いますが、像の尻の須田紀子さんは出てこないんですよ。
そのかわり、偏屈王の監督?のような女性が紀子さんという名前で登場し、なんやかんやあってパンツ総番長と恋人関係になります。ここも映画化での大きな変化ですね。
パンツ総番長と恋人になる紀子さんを分かりやすく書くと、
原作→『像の尻』の紀子さん
映画→偏屈王監督の紀子さん
という風になります。
東堂さんの緋鯉は偏屈王最終幕で降ってくる
上のタイトルの方で”なんやかんやあって恋人関係になります”と書いたところの”なんやかんや”に当たるのがこの部分です。
原作では羽貫さんが空に投げた達磨がパンツ総番長と紀子さんの頭の上で跳ねるのですが、映画では東堂さんの緋鯉がここにきて突然降ってきて二人の頭の上で跳ねます。
そしてどちらのパターンでも二人は結ばれます。
驚くことに映画では李白さんの風邪を「潤肺露」で治しておりません。
原作では古本屋の神から乙女が「潤肺露」をもらい「潤肺露」で李白さんの風邪を治すのですが、映画では李白さんが「人生は孤独だ」と嘆いているのを乙女が否定することによって風邪の症状が治まりました。
そして李白さんの電車の中から「潤肺露」が出てきました。
先輩が目を覚ました時に乙女と手は繋がれていなかった
原作でも映画でも先輩と乙女は夢の中?で空を飛び、飛びながら先輩が乙女を自室へ連れてきます。そして先輩が布団で目を覚ました際、
原作だと乙女が横に座りながら先輩の手を握ってくれているのですが、
映画では握られていませんでした。悲しい。
先輩は自室で乙女にラ・タ・タ・タムを譲る
原作では古本市の時点で乙女の手に渡っているのですが、映画では先輩がずっと持っていたので、ラストの乙女が先輩の部屋に来てくれたときに渡すことになりました。
乙女の仕草可愛いですね。
映画を見て思った率直な感想
黒髪の乙女について
僕が映画を観ている最中に一番気になっていたところはここです。
黒髪の乙女の性格がちょっと強すぎやしないか?
というところです。
気が強いって言った方がいいのでしょうか。ここを気になっているのは僕だけかもしれませんが、原作の乙女はもっと慎ましい性格だったように思うのですよ。
しかし映画の乙女は好奇心が強すぎるあまり、慎ましさが飲み込まれているように感じました。
原作の乙女を「好奇心:慎ましさ=3:7」
とするなら、
映画の乙女は「好奇心:慎ましさ=7:3」
ぐらいに感じました。逆転していました。
映画版の乙女を悪く言うつもりはないんですよ。これっぽっちも。乙女は原作でも映画でも、男のハートを鷲掴みにする存在です。比率の逆転ぐらいでこの事実が覆るはずも無いのです。当然僕も両方で鷲掴みにされています。
しかしながら、僕は慎ましい女性が好みであるため、原作版の乙女に惹かれるのは仕方のないことなのです。
あとですね、原作には乙女が好奇心を掻きたてられたときや嬉しい時にする、二足歩行ロボットにステップというものがあるのですが、映画では乙女が両腕を身体の横で回して車輪に見立てて汽車のまねごとのような動きをしておりました。
正直、僕はもうちょっと可愛らしい動きを想像しておりました。
映画版では二足歩行ロボットという言葉は出てきませんでしたね。映画版しか観ていない方に説明をすると、ちょくちょく乙女がしていた汽車のまねごと、あれが原作で言う二足歩行ロボットのステップです。
これはすべて僕の感想なので、なかには想像していたのとぴったり一致しているという方もいらっしゃると思います。すべては個人の見解によりますよね。
ゲリラ演劇「偏屈王」について
ゲリラ演劇「偏屈王」がミュージカル形式だったのに少しだけですが、がっかりを感じております。
別に僕はミュージカル形式だったから偏屈王の良さが無くなったとか、野次を飛ばすつもりはありませんよ!ただこれは僕がミュージカル全般に苦手意識があるせいです。ここに関してはもうホントに僕個人の好みの問題です。
ここまで書いといて不安になってきましたが、原作にミュージカル形式とは書かれていないですよね…書かれていたら申し訳ございません。
「偏屈王」についてはもう一つあります。
僕がけっこう驚きだったのが、
「像の尻」の須田紀子さんが登場しないということです。
そして、
パンツ総番長が探していた女性は女装した事務局長という悲しい事実。
ここのシーンで僕は泣きそうでした、パンツ総番長があまりに不憫で。
しかしパンツ総番長はそれでも良いと言い事務局長と接吻しようとするんです。ここらへんでもうオリジナルの映画を観ているようでした。先がまったく予想できない…。
ピュアな僕は男と女の純愛を観たいと思っていたので、心の中で、
「いや、紀子さん出せよ!!」って唸っていたら、次のシーンで演劇の監督?のような女性がいきなりパンツ総番長に告白したんですよ!
「おいおい、今度は誰だよ笑!?」って思っていたら、その人がまさかの紀子さんでした…。
原作を知っているのにも関わらず展開が読め無さ過ぎて逆に楽しかったです。「像の尻」の紀子さんは出ませんでしたが、監督?の紀子さんは出てきました。
使われなかったセリフ
パンツ総番長は呻いた。
「ハッピーエンドだ。誰もが赤面することうけあいだ」
「それでよし!」
僕、原作のここのシーン大好きなんですよ。最終幕偏屈王の偏屈王役をジャックしようと企てた先輩がパンツ総番長に演劇のラストを聞くシーンです。ハッピーエンドと聞いて先輩は偏屈王役をパンツ総番長から奪い取ります。
先輩やってることあれだけどかっこいい!
ですが、映画では大きくシナリオが変わっているため、このシーンは存在しないのです。つまりこのセリフも言われることはなかったのです!ここのシーン好きな僕はちょっぴり残念。
「泣いておいでですか、先輩」
「泣くものか。眼から、いささか塩水が出た」
また、この後の先輩と乙女の会話も映画のシナリオ上存在しませんので、僕のお気に入りであったこのセリフも聞けませんでした。
涙を堪える先輩を見上げながら、「この人はたいへん良い人だなあ」と私は思いました。
という最終幕偏屈王後、乙女のほんのりする気持ちも聞くことはありませんでした。
ここまでいうと、僕が映画が駄目だったみたいに言っているように聞こえますが、そうじゃありませんよ!僕が好きだと言った一連のシナリオが入っていない代わりに、映画は新しくオリジナルさながらの感動シナリオを用意しています。
どちらも実に良い作品というわけです。
『四畳半神話大系』とのコラボ
森見登美彦さんの作品『四畳半神話大系』のキャラクターやシーンが映画の中にちらほら出てくるところがありました。アニメの『四畳半神話大系』も、今回の映画『夜は短し歩けよ乙女』も原作が森見登美彦さんで 監督が湯浅政明さんだからですね。
こういうのは『四畳半神話大系』ファンや森見さんファンには喜ばれる仕様ですよね。もちろん僕も気付いた時には得意になって観ていました笑。
先輩と乙女の絡みが少ない?
映画では、本編の前からナカメ作戦を実行していたようなので、先輩と乙女の外堀りは埋まっていたのでしょうが、少々本編内での絡みが少ないかなという気がしました。
原作では1年間の出来事を、映画では一夜の出来事としているので仕方ないと言えばそうなのですが。先輩と不毛に絡んでいては映画の尺が足りなくなってしまいますからね。
でももう少し始めの方から、お互いに良い感じの雰囲気を醸し出していても良いのではないかなと思って観ておりました。
あと個人的に、ラストの方で先輩が布団で目を覚ましたとき、乙女と手を繋いでいてほしかったと思っております。
後語り
森見登美彦さんの原作で、『四畳半神話大系』でおなじみの湯浅政明さんが監督ということで、僕はどんなふうになるのかなと滅茶苦茶期待していたんです。実際に観てみると期待通りに面白い出来になっていてこれは映画館に観に行ってよかったなと感じました。
映画化するとなれば当然原作と違うところも出てくるものです。しかし原作には原作の、映画には映画の良さがあるのです。
この『夜は短し歩けよ乙女』という作品もそのような、原作には原作の、映画には映画の良さがある作品だと思います。
そして変わらないのはどちらも、乙女は最高に可愛いですし、先輩はやはり我らが目指すべき「紳士」であるということですね。
森見登美彦さんの他の作品も気になる人は是非こちらも読んでみてください^^
またね~